森村泰昌さんのこと [アート]
日曜美術館で森村さんの特集をやってました。少し前に特集として放送されることを知って、ちょっと楽しみにしていたんです^^。
講談社現代新書でこの方のことを知ったのは、もう10年以上前のことで、本屋の店頭に並んだ新書の「今月の新刊」で見つけた時は、まったく知らない方の本だったんですが、すいすいと楽しく読んでしまいました。
その後も、時おり映像や作品を目にする機会があって、なんとなく気になる人のひとりでした。なにしろ「扮装する(化ける)」ということを手法にしている人で、それはある種パロディの手法と言えるのかも知れません。ただ、この方の場合、いわゆる「パロディ」の範疇から踏み出しているような気がしていて、気になっていたのでした。
うーん、何と言うか。パロディと言ってしまうには、あまりに主張がくっきりしているということなのかも。パロディと言う言葉から受けるイメージとしては、対象をからかってみたり、寄り添って同化しているフリをしておいて、実は馬鹿にする、あるいは揶揄する。あるいは、対象とのズレを楽しみ、また笑いを生んで、というふうに私は思っています。
森村さんは、元になる作品を踏まえた上で、ご自分のイメージ、主張を明確に表現している。そこが、パロディを乗り越えていると感じていたのでした。
日曜美術館の特集で見ることができたのは、さらにもうひとつの線を踏み越えたもののように思います。時代と自分の生涯との同一線上への合一、というか。自分を、時代を象徴する人物と重ね、その中に自己の人生をも語ろうとしているのか、と思います。「笑い」がひとつの武器であることを熟知しつつ、単なる「おかしみ」や「笑い」を超えたところに自分を開陳してみせる、という表現。
一枚の画像としてだけの表現から、動画映像も含めた表現に踏み込んでいる、ということも、今回初めて知りました。というか、知ってみればそうなるのも必然なんだろうなと思わされました。ご自分の思考過程をも含んだ表現としての動画映像は必然なんだろうな、と。
私にとってこれからも気になる人であることは間違いありません。
講談社現代新書でこの方のことを知ったのは、もう10年以上前のことで、本屋の店頭に並んだ新書の「今月の新刊」で見つけた時は、まったく知らない方の本だったんですが、すいすいと楽しく読んでしまいました。
その後も、時おり映像や作品を目にする機会があって、なんとなく気になる人のひとりでした。なにしろ「扮装する(化ける)」ということを手法にしている人で、それはある種パロディの手法と言えるのかも知れません。ただ、この方の場合、いわゆる「パロディ」の範疇から踏み出しているような気がしていて、気になっていたのでした。
うーん、何と言うか。パロディと言ってしまうには、あまりに主張がくっきりしているということなのかも。パロディと言う言葉から受けるイメージとしては、対象をからかってみたり、寄り添って同化しているフリをしておいて、実は馬鹿にする、あるいは揶揄する。あるいは、対象とのズレを楽しみ、また笑いを生んで、というふうに私は思っています。
森村さんは、元になる作品を踏まえた上で、ご自分のイメージ、主張を明確に表現している。そこが、パロディを乗り越えていると感じていたのでした。
日曜美術館の特集で見ることができたのは、さらにもうひとつの線を踏み越えたもののように思います。時代と自分の生涯との同一線上への合一、というか。自分を、時代を象徴する人物と重ね、その中に自己の人生をも語ろうとしているのか、と思います。「笑い」がひとつの武器であることを熟知しつつ、単なる「おかしみ」や「笑い」を超えたところに自分を開陳してみせる、という表現。
一枚の画像としてだけの表現から、動画映像も含めた表現に踏み込んでいる、ということも、今回初めて知りました。というか、知ってみればそうなるのも必然なんだろうなと思わされました。ご自分の思考過程をも含んだ表現としての動画映像は必然なんだろうな、と。
私にとってこれからも気になる人であることは間違いありません。
「美しい」ってなんだろう?―美術のすすめ (よりみちパン!セ 26)
- 作者: 森村 泰昌
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2007/03/23
- メディア: 単行本
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