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安達としまむらのこと [アニメ]

昨年末はけっこう忙しく、年明け早々からはちょっと家を空けるというスケジュールだったもので、昨年の秋からのアニメが終わったあとは、感想などは書けないままでいました。いくつか書いてみたい作品もあるんで、時期的に間が抜けるのは承知のうえでいくつかの作品について記事にしてみようかと思います。まずは「安達としまむら」から。

どんなお話かは分からないままに見始めてしまい、ストーリーの進み具合がゆったりしていたこともあり、途中で飽きるのかなとも思ってたんですけどね。私の場合は3、4話ずつまとめて見たりすることもあるんで、それで見続けることができたのかも知れません^^;。限られた登場人物と世界観の中で広がっていく個々の「思考と思い」の物語。

本編中で時折り語られる、安達としまむらそれぞれの心のモノローグは、ほとんど詩を語っているようでもあり、言葉としての美しさを感じましたね。まぁいわゆる「ラノベ」の範疇に入る作品なんだろうけど、いわゆる「純文学」に近いものもあるのかな、と思いました。純文学って何、と問われるかも知れないんだけど^^;。

安達、しまむらのふたりとも、ある種「疎外感」を抱えているのは確かなんだけど、だからと言ってそれぞれが深刻になるわけでもなく、どことなく「世界との違和感」は感じつつ生きている、という。わりにいろんな人ともどうにか合わせていけるしまむらと、「合わせること」には最初から消極的な安達。他者との距離感の違いはあっても、似ている同士であるとは思います。

このふたりの「心の距離」を語っていく作品、と言い切っちゃうと言葉が浅くなる気もするけど、ほかの登場人物のそれぞれの「距離」も含めての物語ではないかと思います。それぞれの母親、妹、あるいは以前からの友人や知り合いなども含めて。なのでいわゆる「アニメ的盛り上がり」とか展開には、はなから背を向けている作品になっているわけですね。

こういうスタンスの作品だと、「とても受け入れられない」と考える人もいるわけで、恐らくはつまらないからやめた、という人もけっこういるだろうと^^;。どういう着地をするんだろうか、と10話あたりからは気になっていましたけどね。

それにしても自分の娘の名づけを「抱月」にするって、どんな考えだったんでしょうね^^;。バレンタインのエピソードで電光掲示板に名前が出てきたときに、「ペンネーム」の一種としてこの名を使ったのかな、と思ったんですが。本名でしたね^^;。安達の名が「桜」であるのとは、ある意味で好対照をなしています。
ada_shima_01.jpg
私としてはいちばんのお気に入りキャラはこの人なんです^^。正体は不明のままで終盤まで来てしまいましたから、どういう「配置」でこの物語の中にいるのかが、もうひとつ分からないままですが^^;。しまむら妹との「ペア」として、ということなんでしょうか。

原作はまだストックもあるようですし、2期が作られる可能性もあるかも知れませんが、桜の季節の美しさを背景にしてふたりが歩む、というラストシーンは美しかったなと思います。物語上の1年間弱のあいだに「ふたりの心の距離」が、以前よりは近づいたところで未来に続く、ということでいいのかな。いずれにしても、キャスト、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございます。
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