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『ビリーバー』の上演を見て [舞台]

先週金曜の夜は、NHK教育で『ビリーバー』の舞台を見ていました。見終わってからいろいろ感想が湧いて出てきたんですが、「まてまて、少し考えてから。考えて書く気が失せるなら、書かない」と決めて頭の中で寝かせてみることにしたのでした^^;。

やはり、素直な感想としては、やはりアメリカ人(合衆国人という意味で)にしか、書けない作品なんだろうな、ということ。アメリカ合衆国という国は、迫害を受けた宗派のキリスト教徒たちが英国を脱出して新大陸に作った国ですから、現代の世界の国々の中でも有数の宗教国家です。ここで宗教論議をするつもりは無いのですが、たとえばヨーロッパの人々と比べても、遙かにキリスト教的世界観が重く存在している国です。

だから、作品の中にもたくさんの「神についての論議」が出てきます。原作者が「9.11」の衝撃のなかから書いた作品だということですので、それもうなずけることです。そして、「ほかの神」についてのセリフも出てきます。「神無き国」の私などから見れば、少しくどいくらいに神についてのセリフが語られます。

それは、もしかしたら「9.11」の結果に喪失したかも知れない「神を信ずる心」が、何かに救われるかも知れない、という意味も含んでいるのかも知れません。なにしろ、この作品の主人公は「サンタを信じている男」なのです。あなたはサンタを信じますか?

主人公の天文学者に勝村政信、その息子に風間俊介、主人公の妻(ほか)に草刈民代、そして多数の役(十数役)川平慈英。ストーリーは主人公と息子の間のやり取りが主軸に、そして妻との会話があいだを縫う形で進行していきます。私は見終わった後に知ったのですが、本来は舞台の作品として書かれたものでは無いらしい、のです。脚本の形で書かれ、おそらくはドラマか映画に向いた作品だったようです。

従って、中心人物のほかにもかなりの数の人物が次々に登場して、主人公(と息子)にかかわっていくという構成になっています。シーンの数もすごく多くて、目まぐるしいほどです^^;。私は、くるくると変化していくシーンを見ながら、少し驚いていたのですが、なるほど舞台劇としてではなく、ドラマなどの脚本として書かれたということなら、腑に落ちる気もします。

始まってすぐに感心したのは、勝村政信という俳優さんは大変な力のある人なんだな、ということ。先日も野村萬齋さんの「ファウスト」で見たところでしたから、実力は分かっていたつもりだったのですが、改めていい役者さんだな、と思いました。何しろ発声が、楽々と明瞭に響いて芝居に無理が感じられない。これがすごいんです^^。

そして、驚かされるのは川平慈英さんの快(怪)演ぶり。持ち味のテンションの高い雰囲気が、多数の役を次々と演じていく中で生かされています。もともとは多くのキャストを想定した作品(たぶん)ですから、舞台劇としての上演はかなり難しかったのだろうと思います。演者をそぎ落としていって、たったの4人で演じる、というのは逆転の発想、かつ舞台として上演するにはこれしか無いという^^;。

このふたりの演技に見入っているうちに、1時間半あまりの作品があっという間に感じられました。面白かったです。考えることも多かったです^^。「信じること」「信じ合う心」が現代の家族の中の人間の心の通い合いに集約されて考察されている作品なんだと思います。個人的にはラストが少しセンチメンタリズムに寄りすぎているのでは、という気はします。いや、好みの範疇ですが^^;。私は淡々としたラストの造りのものが好きなんで^^;。でも、この作品の語り口から言えば、このラストに落ち着くんだろうな、とも思います。「テレビ鑑賞」とは言え、充実した時間を楽しませてもらいました。

見終わると、少し思えてきます。どうやら、「サンタはいる」らしいですよ^^。
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