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オーケストラのための「蘇莫者(そまくしゃ)」 西村朗 [音楽]

昨晩のN響アワーは、司会を務めていらっしゃる西村朗さんの作品でオーケストラのための「蘇莫者(そまくしゃ)」。いちばん最初にこの放送予定を目にした時には、「とうとう来たか、西村センセのお手盛り放送^^;」と思ったものです。まぁ、実際には特にそういう感じではありませんでした^^;。

演奏前の解説を聞いていて、気になってしまったことがひとつ。「聖徳太子」はもちろん厩戸皇子が本来の名であるわけで、「聖徳太子」という呼称は厩戸に対しての負い目のある人々が、霊鎮めのために奉った名であろうと思います。厩戸の子と言われる山背大兄王と上宮王家の悲運も含めて、厩戸の霊への鎮めの舞ということなのだろうか、と思ったのです。

太子にまつわる行事について語れるほどには知識は無いのですが、太子の霊が舞者に降りてくるという意味のことを言っておられた時に、私はちょっと首をひねってしまいました。猿面(猿らしいです)をつけた舞者は、果たして「太子=厩戸」と考えていいものなのか^^;。私は首をひねったまま曲を聴き始めてしまったのでした^^;。

曲そのものについて言えば、比較的解りやすい構成と音色を持ったものだと思いました。放送は曲の途中からだったのですが、放送された部分だけでも作品の意図は充分掴めたし楽しめました。舞を含めての演奏ということで言えば、ある種のエンターテイメントとしても楽しめるものになっていたと思います。

まぁ、お猿の面を付けた舞者ですからね^^;。おへそを出した美女の舞、なんてものと比べてはいけません^^;。舞の中身は、むしろ「荒ぶる舞」のように見受けられました。厩戸が降りて「荒ぶる」のであれば、それもなるほどとは思いますが、頭の中では「猿面の舞者は厩戸では無い」という視点が支配していたので、「それなら荒ぶっているのは誰」と言うことになります^^;。

ずっと疑問を抱えたままに聴いていたので、今ひとつ曲がきちんと腑に落ちないままでした。今回は録画もしていたので、先ほど改めて曲を聴いてみました。「序破」の構成(急は省かれているわけです)は、やはり解りやすいものだなと思いました。特に「破」は曲の山場と三者の舞とがうまく絡み、クライマックスの場面であるということがよく分かります。

意識的に雅楽での和楽器の不協和音を鳴らしているという点も、聴いていてよく分かりました。私としては、和楽器の持っている倍音の多いいわば「ハスキー」な音色で鳴らされる不協和音は、オーケストラの楽器の純音により近い音色で鳴らされた時には、和楽器でのものとは違う音色として耳に届くような気がします^^;。

放送の画面として気づいたこととして、舞の舞台の中心線と指揮台がオフセットされていて、オーケストラの中央は舞台から視線が通っています。ここに打楽器奏者のうちのひとりのポジションが置かれていて、特に「破」の部分では特徴的な大太鼓の連打と舞とが重なって見えるような配置になっています。これはなかなか面白い画面になっていましたね^^。

現代音楽だけのプログラムだったようなので、客席の空席が目立ってしまっていたのがちょっと残念な感はありましたが、まぁこんなものなんでしょうね^^;。普段は「クラシック初心者向け」と言っているN響アワーのプログラムとしてはどうなのか、と言う疑問も無いことはないのですが、私としてはなかなか楽しめた、そして新しくいろいろな探求心というか調べてみたいことが生まれた放送でした^^。
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