SSブログ

尾高尚忠 交響曲第1番とフルート小協奏曲 [音楽]

18日放送のN響アワーは尾高尚忠さんの作曲した2曲を放送していました。ゲストには、指揮者でご子息の忠明さんがいらしていました。指揮者として父親の曲を指揮するという心情というものは、どのようなものなんだろうと思ってしまいます。

まずフルート小協奏曲について。さらさらとした弦楽オケの音色が快く響く佳曲というように思いました。平明で爽やかさともの柔らかな雰囲気とを併せ持っていて、心地よい響きが紡がれていきます。聴いていて、独奏フルートの演奏はなかなか難しそうだな、という感じを受けました。

私が管楽器で演奏できるのはトロンボーンで、木管はさっぱりですから指の難易は分からないですけど、ゆったりとした柔らかいフレーズを吹きながら、それぞれの音がふたつずつ吹かれていく(ダブルタンギングなのかな)というのは、奏者は大変だろうと思います^^;。全体としては言わば静かな心境とでもいうものが見えてくる作品だなと思いました。

交響曲第1番は、激しい部分と柔らかな部分とが交差する交響作品ですが、音響としてのアイデアが次々と生まれてくるものの、行きつく先がちょっと分かりにくいような感慨を持ちました^^;。いろいろと盛り込んでみようとしていたという意図は感じとれるのですが^^;。あるいはマーラーもそうであったように、実際の演奏で指揮して聴いてみて改訂してみてもいいかな、と考えておられたのかも知れません。

全曲の完成さえも果たせずに若くして亡くなってしまったわけですが、自筆の譜面の精緻さとはうらはらに、実はここからさらに練っていこうとしていた状態の曲なのではないか、と思えてなりません。クラシック音楽の作曲という創作行為に、ほとんど素人な私が言う資格は無いのかもしれませんが^^;。

ただ、1楽章終結の盛り上がりなんか、聴いていて爽快感もありましたね^^。そして2楽章は、むしろ尾高尚忠さんという人の人柄というものがよく窺われるような、ある種の気品を感じました。ふわりと空気が和むような終り方なんか大変素敵です。この楽章は楽しんで聴いていました^^。

このあとに「アタッカ」で楽章が始まる、という構想だったと言うことは、3楽章が終楽章だったのでしょうか。それとも4楽章の、あるいはもっと多くの楽章を書いていく考えがあったのでしょうか。なんとなく、ですが急-緩-急-緩-急、ぐらいの5楽章の曲ができ上がっていくのではないかというような気がします^^;。勝手な想像ではあるのですが、未完であるということがイマジネーションをふくらませることのできる作品でした^^。
タグ:尾高尚忠
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。