3月5日はプロコフィエフの命日でした [音楽]
作曲家セルゲイ・プロコフィエフが亡くなったのは、1953年の3月5日夕刻のことだったそうです。昨年が没後60年に当たっていたわけで、いくらかは演奏機会も多かったのかも知れませんが、なにしろワーグナー、ヴェルディの両巨人の生誕200年というビッグ・イベントがありましたから、プロコ先生は霞んでしまっていました^^;。
たとえばロシアを出たままソ連には戻らなかったストラヴィンスキー(一度だけ「訪問」していますが)や、ソ連にいたたままだったショスタコーヴィチとも違って、プロコフィエフは一度去ったのちにソ連に帰国して永住しています。こういう経歴は、ほかにはあまり無いのではないかと思います。
私は亡命前の作風のかなり前衛的なもの、亡命時代に書かれた作品が面白いので、もし彼が帰国しないままでいたら、どういう作品を書いたんだろう、と思います。もっともプロコフィエフ自身は帰ることに決めて、帰国後の明快な作風が、結局いちばん親しまれているわけですが。
自らの意思で亡命し、そしてまた自らの意思で国へと戻る、という思考の道筋が、どのようにして成立したのかは、他人には分からないことです。ただ、この作曲家が残した作品を聴いていく限りでは、やはり戻るのが正しかったんでしょうね。帰らないでいたら書いたであろう作品と引き換えに、ではありますけど。
たとえばロシアを出たままソ連には戻らなかったストラヴィンスキー(一度だけ「訪問」していますが)や、ソ連にいたたままだったショスタコーヴィチとも違って、プロコフィエフは一度去ったのちにソ連に帰国して永住しています。こういう経歴は、ほかにはあまり無いのではないかと思います。
私は亡命前の作風のかなり前衛的なもの、亡命時代に書かれた作品が面白いので、もし彼が帰国しないままでいたら、どういう作品を書いたんだろう、と思います。もっともプロコフィエフ自身は帰ることに決めて、帰国後の明快な作風が、結局いちばん親しまれているわけですが。
自らの意思で亡命し、そしてまた自らの意思で国へと戻る、という思考の道筋が、どのようにして成立したのかは、他人には分からないことです。ただ、この作曲家が残した作品を聴いていく限りでは、やはり戻るのが正しかったんでしょうね。帰らないでいたら書いたであろう作品と引き換えに、ではありますけど。
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