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ワーテルローの戦いから200年 [歴史]

ナポレオンが戦いに破れ、最終的に退位する結果を招くワーテルローの戦いから200年が過ぎようとしています。一連の戦闘の総称として「ワーテルローの戦い」といわれてはいますが、最も大きな戦闘は1815年6月18日に起こっています。ただ、それに先立つ最初の散発的な戦闘は15日から始まり、16日からは本格的な衝突を繰り返し、18日の午後に最大の戦闘が行われています。

ちなみに「ワーテルローの戦い」の命名者は、イギリス軍(および協同して戦ったオランダ軍)司令官であったウェリントンです。ワーテルローの地は、戦場のイギリス側後方の地名で司令部が置かれていた場所なのですが、戦闘報告を贈る際に発音しやすい地名が良いだろう、と考えて実際の戦闘の場所からは離れていたけれど、重要であった地名を選んだということらしいです。

この戦いとナポレオンの退位ののちに、ウィーン会議では、フランス革命以前のヨーロッパの旧体制への復帰が決められますが、やがて動乱やいくつかの戦争を経て、100年後の第一次大戦へと至ります。歴史的に見て重要なことは、それまでは基本的には対立を続けていたイギリスとフランスが、多少の紆余曲折や意見の食い違いはあるものの、協調・協同して国際政治に対していくことになる点です。

やがて強大になっていくプロイセンと、その発展形であるところのドイツ帝国(1871年成立)への対抗や、ロシアへの牽制という理由からではありますが、この図式はそのまま第一次・第二次大戦にまで持ち込まれます。ワーテルローの戦いと、その結果によるフランス帝国の解体は、その後の百数十年間のヨーロッパ史の源流となっているわけです。それらのことも考え合わせると、この戦いは歴史の節目のひとつとして大変重要であったわけです。歴史の流れの不思議さをも感じることができると思います。
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