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Chick Coreaさんが亡くなりました [ひと]

アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家のChick Coreaさんが亡くなったというニュースが入ってきました。1960年代から活躍し続け、ハービー・ハンコックやキース・ジャレットと共に、日本でも大変人気のあるジャズ・ミュージシャンのひとりでした。

そのスタイルは変幻自在、と言ってしまうと平板な気もしますが、いろいろなタイプのミュージシャンといろいろなタイプのサウンドを作り出す、という仕事ぶりでした。アコースティック、エレクトリック、トリオであったり大きめの編成であったり。

違うメンバーとアルバムを作り、仕事をするのが大好きだったのかも知れません。40年近く同じメンバーとの演奏とソロ活動を主体にしているキース・ジャレットとは対照的な気がします。それと、何より曲を書くことが大好きであったということもあるんでしょうか。

アルバムのクレジットを見ると、全曲Chick Corea作曲というアルバムも多数ありますね。ずいぶん曲書いてるなぁと感心してしまいます。とにかくアルバムの数の多さには驚かされますが、60年代後半からの55年ほど、と考えればそれもうなずけるかな。でもとにかく70年代から90年代にかけての旺盛な活動は素晴らしいものでした。

個人的には好きなアルバムはいろいろあるけど、盟友Joe Farrellと一緒に作った作品がいちばん親しめるかな。1978年リリースの「Friends」からアルバムタイトル曲の「Friends」を上げておこうと思います。動画サイトで聴けますのでよろしければ。
https://www.youtube.com/watch?v=OT9rUQW-fVw

チック・コリア、1941年6月12日生まれ、2021年2月9日没。満79歳。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
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改めて劇場版「SHIROBAKO」のこと [アニメ]

年明けからあっという間に1か月が過ぎて、もう2月に入ってしまいました。あんまりアニメがらみの記事が並ぶのもどうかな、と思ったのでちょっとほかの方面もはさみましたが、やはり書いておきたいこともあるので、劇場版「SHIROBAKO」のことについて。

作品は昨年の2月29日の公開初日に劇場へ出かけて見ています。いわゆる「封切り」の日に映画を見るなんて、ずいぶんと久しぶりだ、なんて記事も書きましたっけ。でもその後は時間も取れず、ウィルス騒ぎのこともあって外出もままならないという状況で、結局は劇場には最初の1回しか行けませんでした。

冒頭の部分は動画サイトで見ることもできたのですけどね。全編をきちんと見直してみて、改めて気づいたことや書いてみたいこともあるので、タイムラグは承知の上で記事にしたいと思います。まずは丸川さんのお店に行った帰り道に、宮森さんが歌いだすシーンのことから。

劇場で見た時は見とれてしまって細部は覚えてはいなかったんだけど、3拍子で始まってどんどん展開していく歌は、力があるなぁと感心してしまいます。と同時に画面のパワーも大変なものだなぁと。こんなに動かしてもいいものかい、と思いました^^;。まぁ水島監督なんで、動かす時とところの個性は独特なんですけれど^^。

それから坂木さんのオーディションのシーンからの一連の流れ。安原さんの作監の仕事の滞りや、舞茸さんの脚本のこと、後輩の声優さんからある種の「あこがれ」まで受けている坂木さんの様子などは、家でゆっくり何度も見て、面白いつながり方だなぁと思います。今井さんから「師匠」と呼ばれて「商売がたきだよ」と返すところは、見直してみてやっと腑に落ちた気がしています。

「ライバル」ではなくて「商売がたき」という強い言葉を発する心情というか。舞茸さんから見ても一人前になってるんだな、ということですよね。たとえまだまだ駆け出しであるのだとしても。そして終わり近く、一旦は完成形となったSIVAのラストを、作り直したいと語り合うシーン。矢野さんの「分かってんならいいよ」というセリフは、やはり見直してみて納得できた気がしてます。
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最後に流れるSIVAのラストと「3週間」という日数を考えたら、それこそどれだけの労力を費やしたのかが分かります。こりゃ大変でしたよね^^。テレビ版の12話での菅野光明さんが絵コンテ見ながら、「相変わらず無茶やってるなぁ」と言うセリフを思い出しました^^。でも全員でヨーソローと声を合わせるところは、ホントに全員の気持ちがひとつになっている様子がよく出ていたと思います。

「俺は普通がいいんだよ」って言ってた渡辺さんも片手挙げてたし^^。エンドロールではその後のみんなの様子が描かれていて、ああ、みんなちゃんと生きているんだなと思えます^^。当たり前のように。この作品の登場人物たちが、それぞれに生きている。それが見届けられるって素晴らしいラストだと思いました。

そして恐らくは「蘇った」武蔵野アニメーションの、白板に記された予定^^。思わずにやにやしちゃいますよね^^。忙しいということは大切なことなんですよね^^。こんな劇場作品を届けてくれたスタッフ、キャストの皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございます。そして誰より水島監督にお疲れさまと感謝を^^。どうか本当にお体には気を付けていただいて、これからの作品も心待ちにしていたいと思います^^。

追記:武蔵野アニメーションの「ツートップ」とも言われていた原画の井口祐未さん。この人の一人称は「あーし」だと思いますがこれについて。一部では時代劇などにも出てくる「あっし」ではないか、という指摘もあるようですが、どうも聞いていて「あっし」ではないと思います。

NHKのドラマ「坂の上の雲」に登場する香川照之さん演じるところの正岡子規が、一人称として話す時に使う「あーし」とニュアンスが似てるんですよね。このドラマのファンだったりして使うようになった、という裏設定があるのかどうか^^;。脚本の横手美智子さんにお聞きしてみたいものです^^。
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カレーにじゃがいもは入れますか?^^ [暮らし]

「おうちカレー」にはじゃがいもは定番、という人も多いのかな。我が家では、市販のルーで作ったりスパイスを混ぜてルーは使わずに作ったりの、どちらにもじゃがいもは入れません。カミさんが作るときも私が作るときも、です。まぁカミさんがじゃがいもは入れない派なので、という理由なんですけどね^^。

我が家のカレーのレパートリーと言うと、普通のヤツ、キーマカレー、ドライカレーの3通りぐらい。えーと、ここでの「ドライカレー」はカレー味のチャーハンと言うか、まぁカレー味の「チキンライス」というか。チキンじゃなくてたいていは合い挽き肉で作りますけど。チキンライスと言う言葉も通じにくくなってきてるのかな^^;。

じゃがいもを入れない派のカミさんの主張は、「入れると粉っぽい感じになって香りが変わる」と言うものです。確かにそのとおりだと思うし、元々はカレーがあまり好きではなかったカミさんが、大人になってからカレーを食べるようになったのは、じゃがいも無しで作るようになったからのようです。私と所帯を持ってからね^^。クリームシチューはじゃがいも入れると言うか必須ですけど。

というわけでキーマカレーとドライカレーの場合はみじん切りにした玉ねぎ、ニンジン、エリンギ、ピーマンが主な材料になります。普通のヤツの場合は、みじん切りにはせずにプラスして季節によってですが、ナスが入ったり、あと粒コーンとかトマトも入れることがあるかな。でもじゃがいもは入りません^^。あ、もちろん肉はいろいろ使いますよ、牛、豚、鶏。あと缶詰の鯖やマグロも試したことがあります。海老やイカの切り身とかも。なかなかいい感じになりますよね。
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カレーの有名店でも、じゃがいもをルーとは別に皿に乗せて出すお店がありますから、嗜好としては「付きものだ」の人もいれば無くてもいいよ、の人もいるってことでしょうね。まぁ私としては時々はじゃがいも入りも食べたっていいんだけど、我が家で作る場合は無しと決まっています^^;。

別にインド風というわけでもなく、どっちかと言えば欧風カレーの仕上がりに近い味です。辛すぎるのはカミさんが苦手だし。年明けから一度もカレーを作っていないので、そろそろ作りたいな、食べたいな、という願望からの記事でございました^^。2、3日うちに作るかな。あ、明日は金曜だねぇ。ちょうどいいかもですね^^。
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In a Big Country [音楽]

今回の「この1曲」シリーズは、Big Countryの1983年のシングル「In a Big Country」です。このバンドについて調べ始めるまで、私はてっきりアメリカのバンドだと思い込んでいたんですよね^^;。スコットランドの出身なのだそうです。バグパイプに似せたギターのサウンドという解説もなされていて、言われてみれば確かに^^。

1980年代の初頭から活動を始めて、イギリスとアメリカではそれなりにヒットも出てはいたのですが、1990年代に入る頃からはイギリス以外ではチャートでは苦戦するようになります。その後も1990年代いっぱいぐらいまで活動を続けていたのですが、ギターとボーカルを担当していた中心人物のスチュアート・アダムソンが2001年に自殺してしまいました。

バンドはその後にほかのメンバーによって再結成されたりして、活動そのものは続いているようです。最大のヒットはやはり「In a Big Country」で、80年代もののベストヒットアルバムなどにも、しばしば収録されているようですね。

タイトなサウンドとボーカルのハーモニーなど、なかなかに聴かせるものもありますが、音楽の質の高さとヒットに結びつくのかという点は、必ずしも一致しないというのは残念でもありますし、音楽の世界の難しさも感じてしまいます。曲は動画サイトで聴けますので、よろしければどうぞ^^。
https://www.youtube.com/watch?v=0Sjwt14dSbI

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「戦翼のシグルドリーヴァ」のこと [アニメ]

昨年10月からのアニメについての記事、第3弾は「戦翼のシグルドリーヴァ」です。「シグルドリーヴァ」と言うのは耳慣れない言葉だなぁと思いましたが、調べてみて「ワルキューレ」と同義であるということが分かりました。本編中では「ワルキューレ」という言い方しか出てこなかったと思いますが。

北欧神話を題材に取っていることもあって、いわゆる「滅びの美学」に彩られた作品だったのかなと思います。ただ、キャラ原案の藤真拓哉さんの絵柄や、基本的な物語のスタンスが明るい方向に振られていて、悲壮感は極力排されていたとも思います。

「昼行灯(のふりをしてる)」な指揮官や、年季のいってる整備班長といった人物配置は、「あの警察ロボアニメ」を思い出しました。里見司令は必要に応じてかなり気合も入ってましたね。司令やってるってことは「空将」でいいのかな。私はあんまり詳しくないけど^^;。ここまで階級が上がる以上は、それなりには軍歴はあるはずです。

物語の特に前半の話数では食べるシーンがよく出てきて、おいしそうな食事だなぁと^^。見ていて新鮮なお刺身が食べたいなと、思うことも多かったです。
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私のお気に入りキャラは駒込・アズズさんで、なんだかいつも振り回され役を引き受けつつ、困った顔をしてたりするのが楽しかったな^^。
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本編中では、多くの「死」も語られるのですが、何しろ人類の存亡の危機に立ち向かっていることもあるし、全体としての明るいトーンもあって、「覚悟を決めて死にゆく」という雰囲気にはなりません。むしろ「そんなこと当たり前じゃないか」と言いながら、という気配が濃厚。ただエンディングの歌の時の情景は、一方でのこの物語の秘めているいわば「悲しみ」も見て取れて印象的です。

結局のところオーディンの目的って何だったのか、についてはもうひとつ理解しづらいものはあります。滅びた自分の世界を「再構築」したかったのか。それとも人びとの死によるエネルギーを蓄積したかったのか。単に寂しさを紛らわせたい、ということだったのか。まぁ明らかにされなくてもいいのかな。

個人的には大好きなフレイヤは出てこないし、狡猾で厄介なヤツのロキもいないしで、北欧神話の中でもオーディンのみにスポットが当たっているのは、ちょっと残念ではあります^^;。もっともお話としては、ほかの神々を登場させる余地はありませんし、ワーグナー的なゲルマン神話世界を引っ張り出すのもお門違いではありますね。

まぁあえて言えばワーグナー的「自己犠牲」を女性たちが遂げることは無く、むしろその役割は男性たちが担うところは、この物語の勘どころでもあるのかも知れません。重く苦しい滅びの物語、という性格を一面にもっている北欧神話を、明るい物語に変容させているのは好感が持てます。

声優陣はなかなか楽しい配役もあって、聴き応えがありました。山村響さんはまた飛行機乗ってるねぇと思いましたっけ。それと花守ゆみりさんは、私の知っている役柄とは違う方向の声を聞かせてもらいました。たまたまだけど「アクダマドライブ」と似た感じの声のトーンで、芸の幅を見せてもらったと思います。

2期は作れるのかな。神話からの神々の復活、みたいな設定をこしらえれば、おんなじ世界観でお話は作れそうな気はしますがどうでしょう。だとしても今のところは英霊機の力は消えているんじゃないかと思うし、かなり色々と工夫は必要な気はします^^;。

とにかく色々あって1期分放映が遅れたり、とかもあったみたいですし、スタッフの皆さんのご苦労は大変だったと思います。キャストの皆さんも含めてお疲れさまでした。楽しめる物語をありがとうございます。もし2期が可能ならやはり見てみたいなぁと思います。それを楽しみにして^^。
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「アクダマドライブ」のこと [アニメ]

昨年10月からのアニメについての記事、第2弾は「アクダマドライブ」。私はこういう感じの絵柄の作品だと、ほとんど見ないことが多いんですが、主人公を黒沢ともよさんが演じる、ということを知って見てみることにしました^^。第1話と第2話の演出やスピード感、エピソードの連なりかたなど、かなり感心して見ていました。「サイバーパンク」というけっこう古い言葉を思い出したりもして^^。

始めはある種の「SFピカレスクロマン」だと思って見ていたんですが、何話めかで医者がかなり致命傷に近いんじゃないか、という傷でも治してしまう、というシーンが現れて、「ああ、SFというよりは一種のファンタジー」という感慨が湧き上がってきました。誤解を恐れずに言い切ってしまえば「ある種の魔法」。そして喧嘩屋が殴り合いの末に絶命するに至って、ファンタジーであるという認識は定まったのでした。

いわば喧嘩屋本人の意識の中にある「美学/ファンタジー/業(ごう)」に基づいて行動した結果の「死」。ほぼこの時点で、アクダマとして登場した人物たちは、最終的にはそれぞれの死を遂げるであろう、そういう物語として語られるのではないだろうか、と考えたのでした。

あとはカンサイの中での処刑課との闘争とカントウの謎をもうひとつの軸として、「7人のアクダマ」の行動と死の物語を見ていくことになります。7人。なかなか象徴的な人数ではありますよね。ハッカーが早くに退場したのは意外でしたが、「切り札」として再登場させるための退場なんだろうな、とは思っていました。

医者とチンピラが「相討ち」になるのは予想外ながら、なるほどこういう最期もありかなと思えるシーンでした。特に医者は「本人の思惑」とは外れた他者の意識によって命を落とすことになります。ふたりともそれぞれの思い描いていた「行動規範」にそって行動したものの、本人の想定を外れた死を迎えるわけです。まぁさすがチンピラだけに、医者の傷が即死には至らない程度の「ためらい」のある小さな傷だったなと。医者は容赦の無い大きさの傷をチンピラに負わせるわけですが。

殺人鬼もまた「どうしても殺したい」という「美学/ファンタジー/業(ごう)」を押し通したあげくに、死を迎えてしまいます。彼が一般人/詐欺師に見ていた「赤い輪」は、結局のところは彼女の「アクダマ度」を象徴するものだったのだ、と思いますね。そんなものが見えるというのも、特殊な能力ではあろうけど。ただ、見えた赤い輪の衝動に突き動かされた結果が死であったという。

ハッカーはやはりここぞと言うところで再登場となりました。カントウの状態をいみじくも「こんなSFみたいな」とか言ってましたけど、ご本人もデータ化を施すという、「SFみたい」な状態になってました。いわばデータの波を突破するという衝動から、ご本人のデータにも損傷を負って消滅してしまうという最期を迎えます。

さて一般人/詐欺師。さっきアクダマ度と書きましたけど、本人の意識としては「巻き込まれて」いたはずなのに、結局のところは兄妹を助けたいという意識から、アクダマ度を増していかざるを得なくなるという道をたどります。ただ、終盤にデマを飛ばして大衆扇動を仕掛けている時の表情は、けっこうな喜びに彩られていましたね。そして自らの死を賭しての「詐欺」を働くことで、完全に「詐欺師」になりおおせます。
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なるほど、という感じはありました。それにしても髪を短くし、「処女」のまま十字架に架けられて死ぬ。まぁ言うなれば彼女はジャンヌ・ダルクであったということでしょうか。大衆を動かすことで戦いには勝つという結果は得ていますね。

そして運び屋もまた自らに課した「美学/ファンタジー/業(ごう)」を完遂して死ぬことになります。彼のバイクなんだけど、ほとんど無尽蔵のエネルギーを持っているみたいで、その点もある種「ファンタジー」なのかな、と思います。数百メートルのジャンプをしても、着地して乗れているという点も含めて^^;。1980年代に「トロン」というSF映画がありましたけど、バイクの活躍はちょっとその作品を思い出しました。私は「トロン」はちゃんと見ていないんだけど^^;。

結局兄妹はシコクに進んでいくわけだけど、そこが必ずしも「救いの土地」であるか否かは明示されないわけですよね。むしろ「シコク=死国」ということだってあり得るわけで。このふたりの未来はどうなるのか、あるいはカンサイとカントウの関係性も、どうなってしまうのかは描かないままに物語は終わりを迎えます。なかなかのディストピアぶりだなぁと思います。

全体として声優陣は重厚かつ適役な人たちで固められていて、聞き応えがありました。私は榊原良子さんが大好きなんだけど、今回はまたずいぶんな悪役で、「艶のある声」はあまり聴けなかったのはちょっと残念^^;。主人公の黒沢ともよさんは、大変よく似合う役柄であったなぁと思います。チンピラ役の木村昴さんはすごく上手に演じていらしたなぁと感心していました。あと花守ゆみりさんが、私の知る声とはずいぶんと違った声で演じていらして、芸の幅を見せていただきました。

いずれにしても、私としては予想外の収穫のあった作品で、かなり楽しませてもらいました。作画の面などでの苦労はかなり大変だったんじゃないか、とか思います。キャスト、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。2期はあるのかな。このまま終わってももちろん見事な物語だし、世界観の設定を生かして別なストーリーを作ることも可能かな、とは思います。楽しめる作品をありがとうございます^^。
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安達としまむらのこと [アニメ]

昨年末はけっこう忙しく、年明け早々からはちょっと家を空けるというスケジュールだったもので、昨年の秋からのアニメが終わったあとは、感想などは書けないままでいました。いくつか書いてみたい作品もあるんで、時期的に間が抜けるのは承知のうえでいくつかの作品について記事にしてみようかと思います。まずは「安達としまむら」から。

どんなお話かは分からないままに見始めてしまい、ストーリーの進み具合がゆったりしていたこともあり、途中で飽きるのかなとも思ってたんですけどね。私の場合は3、4話ずつまとめて見たりすることもあるんで、それで見続けることができたのかも知れません^^;。限られた登場人物と世界観の中で広がっていく個々の「思考と思い」の物語。

本編中で時折り語られる、安達としまむらそれぞれの心のモノローグは、ほとんど詩を語っているようでもあり、言葉としての美しさを感じましたね。まぁいわゆる「ラノベ」の範疇に入る作品なんだろうけど、いわゆる「純文学」に近いものもあるのかな、と思いました。純文学って何、と問われるかも知れないんだけど^^;。

安達、しまむらのふたりとも、ある種「疎外感」を抱えているのは確かなんだけど、だからと言ってそれぞれが深刻になるわけでもなく、どことなく「世界との違和感」は感じつつ生きている、という。わりにいろんな人ともどうにか合わせていけるしまむらと、「合わせること」には最初から消極的な安達。他者との距離感の違いはあっても、似ている同士であるとは思います。

このふたりの「心の距離」を語っていく作品、と言い切っちゃうと言葉が浅くなる気もするけど、ほかの登場人物のそれぞれの「距離」も含めての物語ではないかと思います。それぞれの母親、妹、あるいは以前からの友人や知り合いなども含めて。なのでいわゆる「アニメ的盛り上がり」とか展開には、はなから背を向けている作品になっているわけですね。

こういうスタンスの作品だと、「とても受け入れられない」と考える人もいるわけで、恐らくはつまらないからやめた、という人もけっこういるだろうと^^;。どういう着地をするんだろうか、と10話あたりからは気になっていましたけどね。

それにしても自分の娘の名づけを「抱月」にするって、どんな考えだったんでしょうね^^;。バレンタインのエピソードで電光掲示板に名前が出てきたときに、「ペンネーム」の一種としてこの名を使ったのかな、と思ったんですが。本名でしたね^^;。安達の名が「桜」であるのとは、ある意味で好対照をなしています。
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私としてはいちばんのお気に入りキャラはこの人なんです^^。正体は不明のままで終盤まで来てしまいましたから、どういう「配置」でこの物語の中にいるのかが、もうひとつ分からないままですが^^;。しまむら妹との「ペア」として、ということなんでしょうか。

原作はまだストックもあるようですし、2期が作られる可能性もあるかも知れませんが、桜の季節の美しさを背景にしてふたりが歩む、というラストシーンは美しかったなと思います。物語上の1年間弱のあいだに「ふたりの心の距離」が、以前よりは近づいたところで未来に続く、ということでいいのかな。いずれにしても、キャスト、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございます。
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