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7月26日と言えばミック・ジャガーの [ひと]

ミック・ジャガーの誕生日でしたね。彼はいくつになったんだっけ。1943年生まれだから73歳ですか。キースも同い年のはずですが、彼は12月だったっけかな。実は義理のいとこが(カミさんのいとこね)ミックと誕生日が一緒でしたから、以前からちょっと不思議な感じがしてました^^;。

60年代に登場してきたミュージシャンの多くは、第2次大戦中の生まれの人がかなりの数になります。特にヨーロッパは1939-45年ですからね、大戦中って。たとえばジョン・レノンは1940年の10月生まれで、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」の真っ只中です。9月中旬に一段落したとはいえ、まだ英国民は一段落していたことを知りませんでした。そんな時期。

ミックの生れた頃になると、大戦中ではあるもののいくらか状況は好転していて、少なくともドイツ軍が今すぐ上陸してくる心配はしなくて済んでた時期でしょうね。そういう時期に生れて、戦後に育っていって50年代の半ばごろからのロックンロールの台頭を、中学から高校生ぐらいに経験した世代なわけです。そりゃミュージシャンになるヤツも出てきますって^^;。などと時代に思いも馳せるミックの誕生日なのでございました。

永六輔さんのこと [ひと]

永六輔さんが7月7日に亡くなっていた、というニュースが入ってきました。放送作家として放送に関わり続け、作詞家として多くの歌を世に送り出し、文筆家としても活躍していました。私としては多くの作詞を手がけた、音楽面での活躍が一番印象的で、作曲家・ピアニストの中村八大さん、歌手の坂本九さんとのいわゆる「六八九トリオ」は名作を多く残しています。

特に「上を向いて歩こう」は、訳詞やカバーをされたわけでもなく、オリジナルの楽曲のままでビルボード誌での全米1位を3週続ける(1963年6月15日付から)、という日本の楽曲としては唯一無二の大記録をなしとげています。ただしタイトルはアメリカで知られている、ということなのか「Sukiyaki Song」に変更されてはいましたけど。

永さんの言葉で印象的なのは「角をひとつ曲がればそこは知らない旅先だ」といった要旨の言葉です。あるいは出演していた浅田飴のCM中での言葉だったようにも思います。私は写真を撮るために街歩きをしている時に、この台詞を時々思い出し、知らない街で知らない街角を曲がるときに、心の中で唱えたりしてました。

1985年に日航機の事故(いわゆる御巣鷹の尾根の墜落事故)で坂本九さんが亡くなり、1992年には中村八大さんも亡くなって、永さんは「俺ひとり生きてる」という旨の発言もしていました。なんのなんの、そう言いながらも著作でヒットを飛ばし、ラジオでも元気な声を聴けたりもしていましたが、近年はほぼ闘病を続けていた状態だったようです。2016年7月7日83歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

冨田勲さんのこと [ひと]

作曲家の冨田勲さんが亡くなった、という報せを聞きました。作曲家として1950年代の中盤からテレビや映画の音楽に深く携わり、70年代に入ってからは初期のシンセサイザー音楽を発展させ、大きな成功を収めた存在でした。1932年のお生まれということで、1930年代生まれのクラッシックの指揮者たちとも同じ世代であったわけです。

NHKの大河ドラマのテーマ作曲は5回を数え、現在のところ最多タイの回数なんだそうです。まぁ70年代までが多かったようですけど。「世界の」という枕詞がついてしまってからは、NHKもあんまり頼めなかった感じでしょうか。個人的には「勝海舟」のテーマが大好きですね^^。ダイナミックに展開して、メロディが高揚していくところが、いかにも歴史が開けていく時代を現していると思います。

アニメ作品では特に手塚プロの作品に多く関わっていますが、「ジャングル大帝」第一期のオープニングは史上に残る大傑作でした。雄大な映像と共に流れる音楽がたいへん印象的です。そしてこの作品では、エンディングの弘田三枝子の歌も冨田さんが担当し、さらに劇中でのミュージカル風のシーンの音楽も冨田さんが書いているのだそうです。大変な作風の広さを発揮していますね。

シンセサイザー時代には、単音しか鳴らないモーグの音を、アナログ録音で何度も重ねる手法で、厚みのある音を作り出しました。私としては「惑星」の中の特に「木星」が大好きです。この「惑星」では、冨田さんが作品の中にストーリーを織り込み、宇宙に飛び出した飛行士が「木星」の中間部のあのメロディの部分で、ついに人類史上初のファースト・コンタクトを果たすというものになっています。

ホルストの作曲した「惑星」には、このストーリーがあるわけじゃ無いのだけど、冨田さんはその中に物語を感じたんだと思います。そしてファースト・コンタクトを果たした直後に、飛行士は宇宙嵐に巻き込まれて、宇宙を彷徨うはめに陥ってしまう、というように物語が続いていきます。トータル・アルバムとしても傑作であると思っています。

お年を召してからも創作は続いていましたが、特に2012年に初演された大作「イーハトーヴ交響曲」では、VOCALOIDの初音ミクを起用する、という手法も取っています。新しいものも柔軟に取り入れていく発想力は、衰えることはありませんでした。初演時の演奏を聴いたときに、ああ、人間の声が大好きな冨田さんが、ミクの声も気に入ってくれたんだな、と思った記憶があります。2016年5月5日、満84歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
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松原正樹さんが亡くなられました [ひと]

ギタリストの松原正樹さんが2月8日に亡くなっておられた、という報道が10日に流れました。亡くなるほどの年齢ではなかったはず、といういつも感じることを、またしても思ってしまいます。青山純さんの時もそうでしたが、長く闘病しておられたなどと言うことは、一般には伝わっていないのが普通ですから、やはり急なこととして驚いてしまいます。

本当はその事だけで語るべきでは無いのだろうと思うけど、やはり私としてはユーミンこと松任谷由実さんのアルバムでの演奏のことを思ってしまいます。とにかくクレジットをたどってみれば、1976年の「14番目の月」(まだ「荒井」時代の4枚めのアルバム)に登場してから、1997年の「Cowgirl Dreamin'」に至る20年間余りにわたって名前が記されています。

演奏に加わった曲数は、アルバムごとに違ってはいるはずですが、とにかくアルバム25枚に連続してクレジットされているのです。1997年暮れの「スユアの波」にはクレジットが無く、ついに連続は途切れるのですが、その後に発売されたアルバムにも、演奏は収められていて、縁の深さを知ることができます。

もちろん松任谷由実という作り手は、曲ごとにサウンドを選びますから、そのすべてに関わっているわけではないとは思います。どちらかと言えば彼女としては少しハードな、ロックに寄った音作りの時に松原さんのギターが響くのだと思います。

そしてあまりにも有名ですけれど、恐らく最も知られているのは1980年の「SURF & SNOW」の中の1曲「恋人がサンタクロース」のギターソロでしょう。ソロだけではなくて、この曲はイントロからギターが前に出ていて、曲全体でボーカルに絡み続けています。このギターが無ければ、この曲の印象が一変してしまうはずです。

ほかのアルバムでも、1曲は「ロックテイスト」な曲が含まれていて、その中で松原さんのギターが聴けます。もちろんアルバムにクレジットされているだけで、どの演奏が彼なのかは明記されてはいませんが、恐らくこういう時のこの音、という想像は大きく外れてはいないと思います。まぎれもなく彼の音の個性が感じられるからです。満61歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

デヴィッド・ボウイさんが亡くなりました [ひと]

11日の夕刻のことでしたか、私は仕事中でしたが、デヴィッド・ボウイさんが亡くなったというニュースがラジオから流れてきました。まだ亡くなるというほどの年齢じゃないよね、と思っていると闘病ののち、という声が続いて聞こえました。アルバムが出たばかりだよね、とも思いました。8日にニューアルバムが、とニュースが伝えます。まったく人の思考が読めるのかよ、と思いながら、彼の音楽のことを考えていました。

特に熱心に聴いていたわけではありませんし、系統立ててデヴィッド・ボウイの音楽を知っているわけでもありません。映画での彼を少し前に見たばかりだっけ、とは思いましたが。「戦場のメリークリスマス」が放映されていましたからね。そこでの彼はそれこそ「絵に描いたような」いい男っぷりで、西欧人の「ハンサム」のひとつの典型が、そこに生きていると感じました。

思えば「演じる」ことはデヴィッド・ボウイにとってのスタートラインでもあったわけです。つい先日萩原健太さん、近田春夫さんのおふたりは、ラジオ番組の中で「デヴィッド・ボウイってある種の「ペルソナ」を押し立てて、それを演じることで音楽活動を確立したわけだよね」という趣旨のことを述べておられました(聴き書きですし、もし不正確であれば申しわけないのですが)。私はまったくそのとおりだよね、と思ったものでした。

番組の中では、そののちに現れたロック界の中の様々な「ペルソナ」にも話題が及んでいましたが、その先駆者はデヴィッド・ボウイであったわけです。影響は音楽やファッションのみならず、遠く日本の少女マンガにも及んでいます(何人かの作家さんが好きだと言っておられたはず)。作中に似たキャラを描いたり、歌詞に基づいた台詞を言わせたりとかね。

おととしのことだったか、いや新年を迎えたのだからすでに3年近く経ったことになるわけですが、新しいアルバムが出て、ちょっと唐突な印象を受けました。「唐突」という言葉は不適切な気もしますが、しばらく音沙汰を聞いていないように思いましたから。思えば彼は自分の死の可能性を見つめて、新たに活動を開始したということだったのかも知れません。

報道では「18か月の闘病」と書かれてはいますが、その少し前から自らの病気については知っていたのではないでしょうか。そして今年が明けて早々の誕生日に最新アルバムをリリースしたと思ったら、2日ののちに世を去っていってしまいました。アルバムタイトルが「Blackstar」だなんて、それこそ・・・どうしたらいいのか。

あるライターの方の文章によれば、デヴィッド・ボウイの死が報じられたイギリスでの10日の朝、イングランド南部は大変な大雨になっていたそうです。天候は関係ないのかも知れませんが。でもイングランドでニュースを聞いた人の中には、雨が心の中にも降りだしたように感じた人もいたことでしょう。2016年1月10日、満69歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

ピエール・ブーレーズさんのこと [ひと]

1月5日に作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズさんが亡くなった、というニュースに接しました。私は「作曲家」としての仕事について書く資格を持っていないように思います。代表的な作品を聴いていても、あまり具体的な何かは湧き上がってこないのです。音楽とは、聴く者の心に何らかを構築/醸成/展開するものだ、と言うのなら、私の心はあまり反応してくれないのです。「分かってない」ということなのかな^^;。

指揮者としての彼についてなら、書けることはあると思います。CDも何枚かは持っていますし。ストラヴィンスキーのバレエ三部作、とりわけ「ペトルーシュカ」についてはクリーブランドとの新録音の方は、好きだと言っていいものです。1911年版(と思われる)での演奏だという点も嬉しいところです。「祭典」と「火の鳥」も聴くときには最初に候補になります。

でもほかの作曲家の作品、たとえばマーラーの交響曲はあまり買っていないし(評価していないという意味では無くて、文字通りCDを持っていないという意味です^^;)聴いてもいないかな。5番は持ってたように思いますが。私としては、ブーレーズという人はもしかしたら「指揮する」ことがあまり好きでは無かったんじゃないか、という疑いを持っています^^;。好きじゃないというか本意ではないと言うか。

自分の作品を演奏する分には、それは他人に頼むよりは遙かに信頼がおけるでしょうけどね。自分ですから。でもそれ以外の、いわゆる「演奏活動」としての指揮には、実はあまり重きをおいていなかったのではないか、と思うのです。それでもバイロイトに出演したり、オーケストラの常任をこなしたり、数々のレコーディングを行ってはいますが、結局は自分ご自身は「作曲家」なのだという気分だったんじゃないのかな、と。勝手にそう思っているんですよね。

ここ数年間はあまり活動らしい活動もしていなかったようで、やはり半ばは引退状態であったという気がします。指揮者としては60年代から90年代までが盛んに活動していた時期で、その間のレコーディングも多く、まとまった形でCDも入手することができます。マーラーの全集は、けっこう新しい方の録音になりますし、楽しんで聴けそうかな、と思っていますので手が出るかも知れません。満91歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

ノーベル賞と日本人 [ひと]

あんまり大それたお話なのではありませんよ^^;。今年もノーベル賞の季節が巡ってきたなぁ、という感慨もあるのですが、日本人が受賞しない年はほとんど話題にもしないのに、受賞者がいる年は猛烈に盛り上がるのは、マスコミの「らしい」ところだなぁ、とも感じます^^;。

あとは毎年「候補」のように話題になっている、あの方の話題も取り上げられるでしょうね。今年はどうなるのでしょうか。前にもちょっと書いた気もしますが、ノーベル賞の文学賞と平和賞は、わりに恣意的にメッセージを込めた選定の仕方をしているみたいですから、平和を享受している日本に賞が来るのかどうか^^;。

同じ年に違う部門の賞を日本人が貰うのは、これで3回目(2002年、2008年に続き)ですね。物理学賞と化学賞の組み合わせで2回だったんですけど、今回は初めて生理学・医学賞と物理学賞という組み合わせです。7日以降も発表がありますが、もしほかの部門での受賞者が出れば、日本としては初めての3部門(以上)の同時受賞になります。

それとあんまり言われていないみたいなんで書いておきますが、ノーベル賞の受賞は昨年に続いてのことで、2年連続で複数の日本人が受賞するのは、初めてのことなんですよね。これまで受賞は3年連続の例がありますが(3年目はふたり貰っていて、都合3年連続4人)。まぁ記録としてなかなか凄いことじゃないかな、ということでございます。発表は日本時間の夕方近くですから、明日からも夕刻のニュースに注目でございます^^。
タグ:ノーベル賞

ロイヤルベビーの命名は? 王女編^^ [ひと]

5月2日、王子の誕生から1年9か月あまりを経て、英王室のウィリアム王子とキャサリン妃に第2子の女の子が誕生しました。イギリスでは例のごとくに、名前当ての賭けなども行われているとのことですが、なにしろなんでも賭けの対象にしてしまう国ですから、大いに盛り上がっているみたいです^^;。王子誕生の時には命名を的中させた当ブログですから、今回もチャレンジしてみようと思います。

王子誕生では、将来の英国王ということで、命名の選択肢はごく限られていたし、当てたと言ってもほぼ決まっていたような感はありますね^^;。ところが男児の場合とは違って、自由度が高い分、王女の命名当ては少し難しい気もします。とは言うものの王室であるわけで、あまり現代風の命名はしない、というかできないはずです。制約はけっこうあるようですし。

現時点で発表はされてはいないので、予想を掲げておくことにいたしましょう^^。一応私としては次の順位で。
1.ヴィクトリア(Victoria)
2.エリザベス(Elizabeth)

と、ここまで考えてから、はたとストップしてしまいました^^;。3番目の候補はなかなか難しいのですよ。ヴィクトリアとエリザベスは、わりとスムースに思いつきましたけど。どちらも現王室(ウィンザー家)の女王たちの名ですし、生れた王女が将来女王に即位する可能性もゼロでは無いのですから、命名はかなり保守的というか限られると思います。

第三候補は私としては「キャサリン(Catharine)」にしたいところなんですけど、母妃と同名になりますからね。可能性は薄いかな。マスコミはダイアナも人気、とか書きますがちょっと無責任な意見じゃないでしょうか。家庭内の諸々を考えれば、やはり名前としては避けることになるかな。

世論調査1位の「アリス(Alice)」も、私としては好きな名なのですが、王室としては難しいのではないかと。ということで、迷った末に第3位はこちら。
3.アン(Anne)

うーむ、難しいですな、やはり。でもこの3位までで恐らくは7割の確率はあると思います。つまりは歴史的な根拠のある名前になるんじゃないかということですね^^。これ以外だったら予想はちょっとできません。まぁ近日中に発表されるでしょうから、楽しみに待つことにいたしましょうか^^。

カラヤンとベティ・デイヴィス [ひと]

4月5日は指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンと女優ベティ・デイヴィスの誕生日だったんだそうです。しかも生年も同じ1908年なら、亡くなったのも同じ年(1989年)。片や20世紀のクラシック音楽を代表する人なら、片やハリウッドの映画女優の頂点を極めた人。

カラヤンが頂点にいたということは確かですが、私はある時期から以降のカラヤンはほとんど聴いていません。50年代のフィルハーモニアと入れたベートーヴェンや、ピアニストのリヒテルと共演したチャイコフスキーはなかなかいいなと思ってました^^;。

ベティ・デイヴィスについては、なんだか激しい役柄が多いなという感想があるのですが、女優さんとしてちゃんと意識するほどには、作品を観ていないように思います。なんだかおっかなそうなオバサンだなぁと思ってたりはしたんですが^^;。

どいうわけかは分からないけど、同じ年の同じ日に生まれたふたりは、同じ年に亡くなることになります。カラヤンは7月、ベティ・ディヴィスは10月と、月はずれていますけれど。仕事と活躍の業界が違い、欧州とアメリカという地域の違いもありますし、恐らく会ったことなんか無いでしょうね。でも、もしかしたら自分と同じ日に生まれた、有名な音楽家/女優がいる、という意識はあったのかも知れませんね^^。

桂米朝さんのこと [ひと]

記事ふたつで続けざまに訃報を記さなければいけないことになってしまいました。桂米朝さんが亡くなられたとのこと。上方落語の重鎮であったのはもちろんですが、落語という分野の大きな星でもありました。柔らかな話ぶりや表情なども、お人柄を感じさせる方でした。

実感としてはもう10数年ほどのあいだ、高座を見ることは無かったように思います。もちろん生で、ということではなくTVなどでの放映でのことなんですが。なにしろ生で接する機会はありませんでした。TVなどで見ていると、崩れることのない折り目のきちっとした話芸であったように思います。

だからと言って堅苦しいわけもなく、いつの間にか引き込まれてしまう語り口と、汚れの感じられない上方言葉が心地いいのでした。もって生まれた声質の良さもあって、耳触りがとても良いのでした。私は関西に暮らしたことはありませんから、時として関西言葉は耳に障る気がするのですが、米朝さんの噺を聴いていると耳は心地よさを覚えるのです。

家では時として気難しさを見せることもあった、と言うのですが、高座での噺を聴き姿を見ていると、やはりどこかに厳しさをたたえる感じも受けることもありました。外には見せない研究熱心さに裏打ちされた、端正さと語り口とが合わさったきれいな芸風であったと思います。満89歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

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