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和田誠さんが亡くなりました [ひと]

和田誠さんが亡くなったというニュースが入ってきました。体調を崩して入院していらしたとのことですが、7日に亡くなられたそうです。

和田さんのお仕事のスタートラインは商業デザインで、タバコのハイライトのパッケージデザインは、コンペに参入して採用されています。70年代に入ってからは、フリーのイラストレーターとして、書籍や挿絵、ポスターや似顔絵で知られるようになりました。

イラスト、書籍の挿絵や装丁、ポスターなどのお仕事がいちばん知られていると思いますが、映画監督としてのお仕事でも、「麻雀放浪記」「快盗ルビイ」などの傑作を世に送っています。なによりもご自身の著作が膨大な数にのぼり、文筆家としての顔も持っておられました。

個人的には、星新一さんの書籍で真鍋博さんと共に多くの挿絵や文庫版の表紙、また丸谷才一さんのエッセイ作品の文庫の装丁・挿絵などが印象的です。また映画の名セリフについてのエッセイ集の「お楽しみはこれからだ」シリーズは、一時期愛読書になっていました。

奥様は歌手・料理家の平野レミさんで、料理番組などで料理しながら「和田さんが」とご亭主として話題に上がるのは面白いなと思ってました。時折レミさんの家庭にテレビカメラが入ったときなど、「ご家族」という感じで、写っていらしたりもしていたのが微笑ましかったです。2019年10月7日、満83歳没。心からご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
タグ:訃報 和田誠
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ジンジャー・ベイカーが亡くなりました [ひと]

ジンジャー・ベイカーが亡くなったというニュースが入ってきました。ロックシーンでの一般的には「クリームのドラマー」としてがいちばん有名なのだと思います。数年前から心臓を患っており、ほかにも関節痛などに苦しんでいたという報道もあります。

ドラマーとしては手先の小わざをほとんど使わず、重くてタイトなリズムを刻むというスタイルでした。特にクリームでのライブではジャック・ブルースのベースとリズムを競い合うようなプレイぶりに特徴があり、聴き物でもありました。

1960年代から70年代に多かった、唯一無二の個性のタイコでした。今のシーンのドラマー達は上手いけど、独自の個性を持ったドラマーは少なくなってますよね。テクニックについての情報が溢れていることはいいことではありますけど。

本名はPeter Edward "Ginger" Baker、「ジンジャー」はニックネームであったのですね。5年前のやはり10月に、ジャック・ブルースの訃報についても書きましたが、クリームはベーシストとドラマーが世を去ってしまったことになります。

ジンジャー・ベイカーはクリームが解散したのちブラインド・フェイスで1枚のアルバムに参加しますが、その後の音楽活動は必ずしも商業的には大成功とは言えません。ただドラマーとしてはロック史の記憶に残る名人のひとりだと思います。

私としてはクリームのアルバム「グッバイ・クリーム」の1曲めに収められた「I'm So Glad」がギター、ベースと共に繰り広げるインター・プレイの傑作、ジンジャー・ベイカーのベスト・プレイではないかと思っています。2019年10月6日、満80歳没。ご冥福を祈ります。どうか安らかに。
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京都アニメーションの事件について思う [ひと]

「思う」とは書いてみたものの、何かしら特別な思いを書けるとは考えていません。ありきたりな言葉は虚しく響くだけで、心は宙に浮いたまま漂っていきます。

何日かが過ぎても、こんな出来事に出会ってしまうんだ、という思いだけが通り過ぎて行きます。生きていく上で出会ってしまうことの中でも、最悪の事柄なのだと。いま「最悪」と書いたことさえ、虚しい気もします。

当日速報を目にし、続報に触れ、夕刻にはおおむね事態が把握でき、これ以上は聞いてもしょうがない、とさえ思いました。これ以上は聞きたくはないとも。

私は京都アニメーションの作品すべてを知っているわけではありませんが、いくつかの作品については心を打たれてきました。亡くなった方々の無念を思うと、残念でなりません。心からご冥福をお祈りいたします。どうかその魂が安らかにありますように。
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ニキ・ラウダさんが亡くなりました [ひと]

元F1ドライバーであり、引退ののちはフェラーリF1チームの顧問のような仕事や、メルセデスF1チームの業務執行権を持っていない非常勤会長などを務めたニキ・ラウダさんが、20日亡くなったと言うニュースが入ってきました。

1976年8月1日のドイツGPでひどいクラッシュに遭遇し車は大破炎上しました。炎の中に45秒間置かれたものの、ドライバーたちやマーシャルの手で救出されました。車体の材料である樹脂が燃えた際のガスを吸い込み、肺にダメージを受け、またひどいやけども負ってしまい、一時は生命も危うい状況でしたが奇跡的な回復を見せて1か月後にはレースに復帰しています。

その後一度引退を表明してレースを退きましたが、2年後に復帰してマクラーレンで戦い、1984年には3度目のチャンピオンを獲得しています。大事故からの復帰や引退後の再起からのチャンピオン獲得などから「不死鳥」という異名も得ています。

しかし76年の事故でダメージを負った肺は、結局不調のままであったのでしょう。2018年秋から療養を続けていて、肺の移植手術なども受けましたが、一進一退の病状であったようです。2019年5月20日没、満70歳でした。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
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藤田淑子さんが亡くなりました [ひと]

声優の藤田淑子さんが28日に亡くなった、というニュースが入ってきました。「一休さんやキテレツなど」を演じて、という紹介がされています。私としては初期の「トムとジェリー」のジェリーの声が記憶に残っています。第1期めの「鉄腕アトム」でも、一時清水マリさんの産休中だったかのあいだ、代役を務められていたようです。

声優として演じられていたのは、どちらかと言えば「少年声」、しかも低めの声ではなくて、わりに高い方の声域を持っていらっしゃいました。若々しい、と言うのもちょっと変かも知れませんが、声変わりがまだ済んでいない、という風情の少年の声を感じさせてくれました。その点、やや低めの声で演じる野沢雅子さんや田中真弓さん、最近では三瓶由布子さんや田村睦心さんたちの「少年」の声とは少し違った、やや中性的な味わいもあったと思います。

数年前から体調を崩されて、療養を続けていらしたとのことですが、比較的若いと言っていい年齢で亡くなられてしまいました。2018年12月28日、満68歳没。心よりご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
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鶴ひろみさんが亡くなりました [ひと]

さすがに辛いけどやはり書いておかなくてはなりません。たくさんの報道がありましたが、声優の鶴ひろみさんが16日の夕刻に急逝されました。高速道路の端に車を寄せて、ハザードを点灯させて、という状況を聞くにつけ、自分が同じ状況に遭遇したらどこまで行動できるだろうか、と考えてしまいます。果たして自分にそこまでできるだろうか、と。

ある時代にはまぎれもなくヒロイン声の第一人者としての人気がありました。みゆきの鹿島みゆき、きまぐれオレンジ☆ロードの鮎川まどか、めぞん一刻の九条明日菜と並べていくと、少しずつ違った個性ではありながら共通しているのは「正統派の美少女」を演じていること。そういった役柄を大変多く演じていました。

らんま1/2 熱闘編での久遠寺右京も、それらの役柄を踏まえたものだと思うし、ドラゴンボールのブルマも、あの物語の初期の設定である「漫遊記ギャグ」の中では、紅一点のヒロインそのものを演じていたのでした。のちに物語の性格が方向を変えてしまい、登場回数は減りましたが、現在までも役として演じられていました。

一般的なニュースなどでは「アンパンマンのドキンちゃん」という紹介のされかたがいちばん多かったと思います。こちらもまた現在も放映中の、息の長い作品ですから「代表作」として紹介されるのでしょう。ただ、私としては、80年代から90年代にかけての「正統派ヒロイン」としての鶴ひろみさんの存在感が大変印象的です。

出演作のリストを眺めながら、「軽井沢シンドローム」の箕輪みるくという項を見付けて、思わずにんまりもしてしまいました。あれにも出てたんだ、という驚きもありました。持ち前の輝きと伸びのあるお声は、やはり唯一無二の個性であって、演じていらした役と共に忘れることはできません。2017年11月16日、満57歳没。心からご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
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槐柳二さんのこと [ひと]

俳優、声優として活躍されていた槐柳二さんが亡くなられた、という報に接しました。ついこないだ「天空の城ラピュタ」の放送があって出ていたよなぁと思いましたが、亡くなったのはその放送日のことでした。時刻までは分かりませんが、不思議な巡り合わせとなりました。

「レレレのおじさん役」というマスコミの紹介は、確かに間違ってはいないのですが、今までに4回作られた「バカボン」のうち、槐さんが演じたのは第1作と第2作でのことで、それぞれ1971年、75年の放送開始の作品でした。3回目と4回目では千葉繁さんが本官さんと兼ね役で出演しています。こちらが90年と99年の放送開始。とまぁ、槐さんの「レレレのおじさん」をリアルタイムで知っている人は、けっこうな年配の人ということになります^^;。再放送とかはありましたけどね。

大変に個性的な声の持ち主でもありました。出てくると一聴して槐さんだと分かる声で、出演の本数は多くはないし、脇役が多かったと思うのですが、大変印象に残る声でした。いわゆる「悪声」を個性にしている声優さんは、ぐっと数が少ないのですが、その中でも際だった個性の持ち主が亡くなってしまわれたのでした。満89歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。


10月10日に追記:「いわゆる「悪声」」なんて書いてしまったので、ちょっと言い訳というか。まぁ「美声とは言えない」という程度のつもりです^^;。なんか分かりにくいけど。たとえば立木文彦さんなんかは、決して美声では無いと思うけど、その声の存在感は大きいと思いますよね。それから中尾隆聖さんのお声も、必ずしも美声では無いのですが、何しろかっこいいですよね。ただ、中尾さんはけっこう作った声でも演じておられるようですけど。

それから女性ではくじらさん。芸名がひらがなで「くじら」ですから、ちょっと判読しづらくなるのは難点ですが^^;。こういった個性の声優さん達も、この世界には欠かせない方々であると思っています。そういう意味での「いわゆる「悪声」を個性にして」という記述に繋がっています。ちょっと言い訳めいて気が引けますが、そういことなのでございます^^。
タグ:訃報 槐柳二
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大岡信さんと加川良さんのこと [ひと]

同じ日に亡くなったからと言って、このおふたりを並べてどうするんだ、と怒られそうな気もしています。まったく違った活動をしていらしたおふたりで、生まれた年も違うし。ただおふたりともに私にとっては、それぞれ違った時期に強い印象を受けていたことがありました。同じ日に亡くなったことは、私にとっては不思議な何かを感じることなのです。

大岡信さんは、「80年代の現代詩の不毛の中の、一陣の清新な風」といった評を見たことがあります。どなたが言ってらしたのかは忘れてしまいましたが。たとえば大変有名な「地名論」という作品でも、言葉の音楽、構成の巧みさといったテクニックからの凄さを感じます。しかしそれ以上に作品の完成度、詩としての「落ち着き、たたずまい」と言ったようなものが、とても美しいと思っていました。

こんな風に書ければいいのにな、というある種の憧れのようなものも感じていました。もちろんそんな風に書けないからこその憧れであるわけですが。私の大好きな作家、丸谷才一さんとも仲がよろしかったようだ、という点も好ましいものでした。ほかの方も交えてではありますが共著もありました。

加川良さんは、その出世作とも言うべき歌の印象が強く、そして歌声の力強さもまた大変素晴らしいものでした。それこそ「こんな風な歌声を発することができたなら」と思わせられます。その歌声には、確かな独自性があって、一度聴いたら忘れない声をお持ちでした。

私見ですが高田渡さんからの影響を受けていらしたようにも思いますが、高田さんと同じように、一途に自己の世界を投影した歌の世界を作り続けていたという点で、やはり唯一無二の歌い手であったと思います。地道な活動を続けていくことを選び取った、ということなのだろうとも思えるのです。

おふたりともに、2017年4月5日没。大岡信さんは満86歳、加川良さんは満69歳で亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

御一行1000人様御宿泊 [ひと]

1000人ぐらい、と言うことのようなんですけどね。はっきり何人と発表があるわけでも無いらしいので。まぁ憶測に近いものを無責任に書いてしまいますが、都内のホテルには御一行様およそ1000人が3泊4日でご滞在とのことのようです。ホテルも一か所じゃ足りないでしょうから、分宿ってことなんでしょうね。

移動のためにハイヤーなども確保してあるのだそうで、相当な額の出費になるようです。どっちが持つのか、折半なのかという下世話な話はさておき、受け入れる側もいろいろ大変でしょうね。お国柄もあるので、恐らく大部分の随員は男性であろう、というのはいくらか気楽なのかも。

もうひとつお国柄ということで、食べてはいけない食物などには気を使いそうです。もっともホテルは慣れてるんだろうな、そのあたり。いずれにせよ15日までの予定ということらしいので、都内各所は交通規制や警戒もありそうです。もしかしたら秋葉原あたりに買い物に来たりもするんだろうか。とすれば離日前日の14日とかはありそうな日なんだけど^^;。

Greg Lakeが亡くなりました [ひと]

すでに1週間ほどの日にちが経ってしまっていますが、King CrimsonやEmerson, Lake & Palmerのベース/ボーカルとして知られているGreg Lakeが亡くなりました。今年の3月にKeith Emersonが亡くなったと思ったら、ベースのグレッグも世を去り、エマーソン・レイク・アンド・パーマーはドラムスのCarl Palmerが残るのみとなってしまいました。

ELPという類まれなバンドは、キーボードのキースの存在が無くしては成立しなかったと思います。ただ、グレッグ・レイクのベース及びギターと、とりわけ彼のボーカルという要素も大変重要でした。キング・クリムゾンに在籍していた時も含めて、ボーカリストとしての貢献度は大変高く、抑制を効かせている時の美声プラス、声を張ったときのわずかに荒れる歌声がたいへん印象的です。

ELPではどちらかと言えばキース(とカール・パーマー)が躍動感と動的な音楽を形作るのに対して、グレッグは抒情的で静的な部分を形成して、バンド全体の音楽作りのコントラストができ上がっています。もちろんこのバンドは3人のメンバーが合奏している時のパワーが見もののひとつでもありましたけれど。

ベーシストとしての力量もそうですが、ギターを弾いている時の音色や変則チューニングを駆使した奏法は、このバンドの欠かせない魅力でした。ベースの音色は高音に張りがあり、低音も強く広がる特徴的な音を作っていて、個性になっています。ベースにしてもギターにしても、見事なピッキングがグレッグの演奏を際だたせています。

私は先日日曜の深夜にNHKの放送で、今年の9月に行われたプロムス(ロンドンの夏の音楽祭)のラストナイトを見ていた時に、終盤に演奏される何曲かの恒例の曲のひとつ、「エルサレム」の演奏と合唱を聴きながら、グレック・レイクのことを考えていました。

この歌をバンドのサウンドに乗せて、ソロ・ボーカルで歌うというアイデアは、グレッグから出たのか、あるいはキースからだったのかは分かりませんが、奇しくも同じ年の春と冬にふたりは逝ってしまいました。グレッグ・レイク、2016年12月7日、満69歳没。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。

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